インドでの海賊活動する意義
2013年6月3日 ゲームカリカット周辺をひたすらうろついていると、だんだんここでPKする意義が分かってきた。
カリカットから出航しそうなイングランド商人をずっと狙っていたが、なかなか青ラインから出てくれない。
しかも5隻2PTが立ち往生している。
それは時間的拘束を意味していた。自分一人でここに張り付いているだけで10人もの商人が身動き取れていない。
なので、こういう状況をなるべくたくさん作ることを意識して行動していた。
ソロの商人よりPTの商人を拘束するようにしていた。
PTの商人が青ラインから出ようとしている目の前で、ソロ商人が出ても絶対に襲わなかった。
ソロ商人を襲っている間に、PT商人が逃げてしまう。
何よりも重要なのが、自分の利益よりも、相手に打撃を与えること。
そのことに専念していた。
一人を襲って積荷や少ないアイテムを奪うよりも、
たくさんの人を動けなくする。これが重要だった。
また遠回りして、カリカットに出入りする人も増えてきた。これも時間を拘束している。
「正面からいくとアイツがいるかもしれない。」と認識してもらえていたのかもしれない。
(これは思い上がり過ぎかなw)
あと一つの意義は、
当時インドというと、とても遠い国であり、喜望峰を越えてからの道のりも相当なもの。
中級者がようやく辿り着いて、上級者になろうとする第一関門。みたいな場所だったと思う。
ということは、ほとんど多くの人が必ずやってくる場所。そしてカリカットはインドで最大の都市であり、当時はとんでもないプレイヤー数だったので、
カリカットの青ライン内ってとんでもなく重たかったし表示しきれないこともあった。(造船も人気だったせいもあるが)
もしここで、イスパニア海賊と一緒にイングランド商人を襲ってみろ。どうなるだろうか。
当然だが、イスパニア海賊と一緒にいれば、ポル海賊はポルを襲わない、イスパ海賊はイスパを襲わない。
標的はイングランドのみとなる。
そして、PKKもポルやイスパの人がやってこない。くるのはイングPKKのみ。
単純で当たり前すぎるけど、この図式が完成する。
「ポルとイスパって仲がよいんだ~!」
みんなにこう思ってもらうこと。これもとても大きな意義であった。
ポルトガル一国でイングランドと戦うことは不可能と感じていたので、イスパと何とか仲良くなり、共闘できたらいいという根底が以前からあった。
(しかも、私はイスパニアがたくさん所属するエーゲ商会にいたので、イスパの人と仲よかったし、横のつながりもあった。
アルマダの人とも何度かお話もしていた。
失礼かもしれないが、当時のイスパニアっておもしろい人ばかりいたし、お祭りやどんちゃん騒ぎ大好きで、でも、ここぞ!って時の団結力はノトスで一番だったと思う。)
カリカットから出航しそうなイングランド商人をずっと狙っていたが、なかなか青ラインから出てくれない。
しかも5隻2PTが立ち往生している。
それは時間的拘束を意味していた。自分一人でここに張り付いているだけで10人もの商人が身動き取れていない。
なので、こういう状況をなるべくたくさん作ることを意識して行動していた。
ソロの商人よりPTの商人を拘束するようにしていた。
PTの商人が青ラインから出ようとしている目の前で、ソロ商人が出ても絶対に襲わなかった。
ソロ商人を襲っている間に、PT商人が逃げてしまう。
何よりも重要なのが、自分の利益よりも、相手に打撃を与えること。
そのことに専念していた。
一人を襲って積荷や少ないアイテムを奪うよりも、
たくさんの人を動けなくする。これが重要だった。
また遠回りして、カリカットに出入りする人も増えてきた。これも時間を拘束している。
「正面からいくとアイツがいるかもしれない。」と認識してもらえていたのかもしれない。
(これは思い上がり過ぎかなw)
あと一つの意義は、
当時インドというと、とても遠い国であり、喜望峰を越えてからの道のりも相当なもの。
中級者がようやく辿り着いて、上級者になろうとする第一関門。みたいな場所だったと思う。
ということは、ほとんど多くの人が必ずやってくる場所。そしてカリカットはインドで最大の都市であり、当時はとんでもないプレイヤー数だったので、
カリカットの青ライン内ってとんでもなく重たかったし表示しきれないこともあった。(造船も人気だったせいもあるが)
もしここで、イスパニア海賊と一緒にイングランド商人を襲ってみろ。どうなるだろうか。
当然だが、イスパニア海賊と一緒にいれば、ポル海賊はポルを襲わない、イスパ海賊はイスパを襲わない。
標的はイングランドのみとなる。
そして、PKKもポルやイスパの人がやってこない。くるのはイングPKKのみ。
単純で当たり前すぎるけど、この図式が完成する。
「ポルとイスパって仲がよいんだ~!」
みんなにこう思ってもらうこと。これもとても大きな意義であった。
ポルトガル一国でイングランドと戦うことは不可能と感じていたので、イスパと何とか仲良くなり、共闘できたらいいという根底が以前からあった。
(しかも、私はイスパニアがたくさん所属するエーゲ商会にいたので、イスパの人と仲よかったし、横のつながりもあった。
アルマダの人とも何度かお話もしていた。
失礼かもしれないが、当時のイスパニアっておもしろい人ばかりいたし、お祭りやどんちゃん騒ぎ大好きで、でも、ここぞ!って時の団結力はノトスで一番だったと思う。)
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